~いかなる風俗習慣よりも、どんな伝統よりも、ピジン崩壊からクレオール再生への道が、言語を獲得した人間にとっての望ましい内圧であったかがうかがわれる。

伝統はしょせん獲得された様式であり、バイオ・プログラムされたクレオール再生への意思と衝動にはかないっこない。

にもかかわらずピジン崩壊してクレオール再生をうながすような異文化接触の予兆など気配もない。
あるのは国境をはさんだ武力紛争と経済摩擦だけである。

だからと言って絶望するのはまだ早い。

バイオ・プログラムとして言語を約束された人間、伝統に刃向うことを生得的に運命づけられた人間が、こんな儀式過剰の世界に甘んじていられるわけがないだろう。

外では最大規模にまで肥大した国家郡が、辺境の隅々にまで監視の目を光らせ、異端の進入を拒みつづけるつもりなら、伝統拒否者は足元の地面に穴を掘りはじめるだけの話である~

安部公房 「クレオールの魂」  1987年4月号『世界』